アメリカの法の建付け  

 黒人が警官に7発も撃ち込まれたというニュースの映像を何度も見るうちに、一つの疑問がムクムクと湧いてきた。そしてトランプが再選されると直感した。

 この白いシャツの男は警官の制止を聞かず何故自分の車の所まで行き、車の扉を開けて何かをしようとしたのか。アメリカの警官はこれをとめることが出来ずついに発砲してしまった。公務執行妨害で逮捕とはならないのか。そのような法律は無く、アメリカの国民は警官の制止に逆らってまで車の中から何かを取り出す自由が憲法上保証されているのかと。

 読みかじり、聞きかじりだが自分はそのような印象を持っている。アメリカ国民は銃を取って政府に反抗する権利があるとかいうことである。これホントなのてことだよな。

 

 

情熱の人

 

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  自民党の議員などからたまに、雑巾がけという言葉が言われる。これは、地道な努力をコツコツとやっていく、ということかな。かるく、躓いた時などに反省の気持ちを込めて使われる言葉だと自分は理解している。沖縄のあの有名な政治活動家

この言葉の意味を良く噛み締めるべきだと私は彼女の為に進言する。情熱だけでは人は動きません。私情を抑え

 

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法の建付け

  最近、法の建付けなる言葉を幾度か耳にした。この方面のことは全く分からないが、たぶん、行政が法に順って何かを行うにあたり、手順や段取り、権限等が入り組んでいて、一筋縄ではいかぬ事があるということかな。如何なる事態にも対応できるようにと構え、やたらと法律を複雑にしてそうだなあとは思う。

   それにつけても、最近問題になってる検事総長かな、定年を延長しちゃって野党が騒いでいるようだが、安倍を信頼に値する人としている自分にとっては、上手いこと考えるものだと感心こそすれ、角を矯めて牛を殺すようになりかねないことを考えている連中を、バカだなあと思ってしまう。

   さて、新型コロナウイルスに対する政府の対応について種々言われているが、ご苦労の多いことだと思って見守っています。コロナ終息後日本や世界の主要国がどのように政治経済をやっていくのか、国によって法の建付けは異なるのだがそれが明らかに知らされるかもしれないなあ。

デュープロセス

  表題の言葉は橋下徹氏の説明によると「プロセスの共有あるいは重視」という意味であるらしい。

   政治的あるいは法的決断について大勢の人に賛同してもらうには、決定にいたる諸条件の収集選択広報等についてこの考え方が大切であるということらしい。

   この度の新コロナウイルス感染拡大抑止策として、政府の決断が待ち望まれているが、もう充分に機は熟しているといえよう。諸外国に比べてあまりにも遅いなどと云われているが、私は安倍さんは良く我慢したと考えている。

  右翼的心情の人は時たま「国柄」なる言葉をつかう。私はあまり好ましい感じに捉えていなかったが、この度の事でこの言葉を素直に受け止める事が出来る様になると思います。

  日本政府のデュープロセスはとんでもなく積み重なっているなあと思う。 

  まさしく「広く会議を興し万機公論に決すべし。」だよなあ。

 

  

秀吉の刀狩り

 太閤検地と並んで日本を中央集権国家として纏め上げてゆく重大な契機となった政策であろう。武士以外は戦闘の用具としての刀を持たせないってことかな。続く長い江戸時代にこれは徹底されていった。

 

 現代に於いても、護身用として一般人が武器を保持できない。それが日本である。

 明治維新のころ、この政策が良くできたものであると感心する。

諸外国の事情は承知していないが、ヤクザや反政府勢力、それに一般人も容易に武器を入手出来る国がかなりあるらしい。武器の生産は重要産業だったりする。

 中央政府の求心力を維持するのは容易ではないらしく、分断が常態化している。

 

 其の点、日本は比較的安定しているといえる。皇統に関する心配を除けば大きな対立は無いのでないか。長年に渡る強力な中央政府の存在こそが刀狩りの効果を持続してきたと自分は考えている。

 

 

誇り高き人々

  随分と以前の事であるが、韓国では漢字は使用しない方針が採用されるというニュースに接した事があった。とても驚き友人にホントかなあと話したことを覚えている。

  事実、その後韓国人の名前は日本ではカタカナ表記となっているものがほとんどだ。なんと愚かな決定であろうかと思っていたが、実際その様になっているらしく、韓国の新聞が大写しになったテレビ画面には朝鮮日報の新聞社名以外には漢字は見あたらなかった。これは全部ハングルで表記されているということなのか。

  日本に当てはめると全て片仮名表記ということだな。西欧では全てアルファベットなのでそれとの比較でいえば、そう読みにくい事では無いのかもしれないなあ。

  日本では、漢文のことを昔は真文といい、公式にはこれを用いていたと、何かで読んだ記憶があるが、真文を日本流に読み下す方法が開発され、これが和漢混交文と成ったと言うことらしい。韓国にも何らかの方法で韓国文化に漢字を取り入れていたであろうに、それを捨ててしまったのは国益の面からどうなのかなあとつくずくおもう。

  かの国には、国益よりもプライドをという様なところがあるように思うが、この度

GSOMIAの破棄を思いとどまったのは、さすが判断を誤らなかったと感心した。

  しかし、幼いころから反日的思考を刷り込まれている国民には、この呪縛から脱するのは容易ではあるまいと思う。日本ではアメリカの素晴らしさと日本の未熟さを幼い頃から刷り込まれているのだが、近年これを見直そうとしている動きが見られるのは喜ばしいとおもう。

 

アスペルガー障害

  15歳かな一人の少女の発言が大きく波紋を広げているようだ。自らアスペルガー障害者と表明しているらしいが、他者の思惑についての配慮が希薄なのかな。

  環境問題について語るなら、私の場合は人口問題が基本に据えられるべきであると、従前から考えている。

  私が子供のころ世界の人口は23億人であると学校で教わった。60年後の現在3倍を大きく超えているのではないか。たしか70億を超えているとの情報に接した記憶があるが、環境の悪化が大きく言われているのだから多分これ以上あまり増えるのは環境に良くないのだろうと推測できる。女性が生涯に育てられる子供の数を2人までというコンセンサスが世界的に認められるなら、人口問題は大きく緩和されるのではないだろうか。浅学にしてこれを聞いたことはない。